Crescent John ColtraneHMV レビュー
John Coltraneの後期の作品の中でも異彩を放つ、ストレートなスピリチュアル・ジャズを感じさせる作品"Wise One"を含む作品。1964年の「A Love Supreme」とは異なる、静かな湖のコメンを感じさせるようなコルトレーンの平成を感じる演奏。
1 Crescent
2 Wise One
3 Bassie's Blues
4 Lonnie's Lamont
5 The Drum Thing
John Coltrane
誕生:1926年09月23日 in Hamlet, NC
死亡:1967年07月17日 in New York, NY
1967年7月17日、John William Coltrane は、ついにアセンションしていった。1926年9月23日に生まれたジョン・コルトレーンは、1950年代初頭Dizzy Gillespieのバンドから本格的なジャズ活動を開始、1955年、心機一転を狙ったMiles Davis Quintetに入団、初めのころの非難轟々の時期を乗り切って、1956年の「マラソン・セッション」のころには個性を確立しつつあった。
この歴史に残る4枚の作品に参加しえたことが、ジャズファンにとってはコルトレーンを記憶にとどめる初めの一歩になったことは幸運だった。「Prestige Label」への貢献から、マイルス・バンドでの同僚のRed Garlandの作品『Dig It』、そして、コルトレーンの人生を一変させた孤高の天才、Thelonious Monkとの共演アルバム『Thelonious Himself』を経て、1957年5月31日、アルバムとしての初リーダー作『Coltrane』を録音。すでに後年の演奏の萌芽を感じさせる習熟振りを見せた。
この時期から1960年マイルスバンドを辞すまでが、ある意味でのコルトレーンの「自分探しの旅路」だったといえるだろう。当時、テナー界はデクスター・ゴードン、スタン・ゲッツといった二人を向こうに回して、Sonny Rollinsが帝王に戴冠しつつあった時期だった。コルレーンがモンクとの邂逅をとして最終コーナーに差し掛かったとき、ロリンズは、早すぎた最高傑作『Saxophone Colossuss』を完成していた。
モンクとの「Five Spot Session」を超え、マイルスの「モード手法」完成を横目で見、1960年最後の欧州樂旅を最後にマイルスの下を“脱出”したコルトレーンは、前年に録音した『Giant Steps』をもって本当に身での自立を勝ち取った。『Blue Train』『Soultrane』『Coltrane Jazz』そして、早くも左傾化した問題作Don Cherry との『The Avant-Garde』をこの時期発表している。
そして、1960年10月、コルトレーンにとって、Sidney Bechet以来の印象的なプレイヤーとなるソプラノサックスをフィーチャーした傑作『My Favotite Things』を録音。一気に時代の「前衛=アヴァン・ガルド」に突出していく。
「Impulse Records」に移籍したコルトレーンはReggie Workmanを擁する「Pre-Quartet」を結成、コンセプチュアルな作品『Africa/Brass』を発表する。1961年11月の「ヴィレッジ・ヴァンガード・セッション」でJimmy Garrisonが参加、「The Quartet」が完成する。McCoy Tyner(p)Jimmy Garrison(b)Elvin Jones(ds)を率いた黄金のカルテットが新劇を開始した。
この間、欧州樂旅に参加したEric Dolphyこそは、コルトレーン同様、「時代」が要求した「ビバップ」からの脱却と黒人意識の高揚を基本とする「アフリカ回帰」、さらに、Albert Aylerとコルトレーンだけがこの時代の中で完結した「Spiritual Unity」への到達など1960年代前半は激動の時代だった。
『Ballad』『Duke Ellington & John Coltrane』『John Coltrane And Johnny Hartman』といったエポックメイキングな作品を残しつつ、コルトレーンは『Selflessness』『Love Supreme』といった哲学的なタイトルを有する作品を録音。さらに『Kulu Se Mama』『Infinity』『OM』に到達した。
1966年自主制作版として制作された『Cosmic Music』を発表Alice Coltraneを擁した最後の時期に進んでいった。『Meditation』『Interstellar Space』を挟んで録音された『Expression』は、発売当時、コルトレーンの最後の作品であった。巷間言われてきた、死の予感のタイトル“Ogunde”も含めて、すでにこの時期、コルトレーンはある意味での、時間と肉体からの自由を獲得していたのだろう。
近年、発掘された1967年4月23日の病床からの最後の復活ライヴの様子は、まさに「命を絞りながらアセンションしていく」コルトレーンを聞くことが出来る。そして、それから2ヶ月少し、7月17日、Billie Holidayに8年遅れた同じ日、コルトレーンは今回の人生の役割を終えて「神の園」へ昇天していった。
フリージャズの精神的な後ろ盾としてのコルトレーンの存在はきわめて大きいが、テナーサックスの表現手法を極限まで推し進め、その影響力は21世紀を超えてもまったく衰えていない。パーカーの精神を伝承したOrnette ColemanやEric Dolphyと違って、ジョン・コルトレーンにはもっと大きな精神性が宿っている。1970年11月5日、イーストリヴァーに死体となって浮かんだAlbet Aylerと共に60年代ジャズの「前衛」としてコルトレーンの存在は不滅だった。
日本公演での涎を流しながらの長時間に及ぶライヴは日本において行われたジャズのライヴ演奏の永遠の白眉として日本のジャズファンに語り継がれている。
僕は、昔は本当にコルトレーンが嫌いだった。
何より、あのヒステリックなテナーの音が嫌いだった。
でも、最近少しずつその気持ちに変化が芽生えてきた。
このCrescentの中のWise One やLonnie's Lamont 聴くと
なんか、このメンバーの作り出す世界って
ものすごいんじゃないかと思うようになってきた。
でもやっぱりあのヒステリックな音はイマイチ好きではなかったのだが、
あのセロニアス モンクの肖像のなかの、あのモンクとコルトレーンの
ジャズ史上最強と言えるかも知れない演奏を聴いたとき、
体が震えてしまった‥。
モンクのつくっていく 間(ま) をコルトレーンのテナーが、
見事なまでに埋めていく‥。凄い‥凄すぎです。
コルトレーンは「神になりたい」とか「賢者になりたい」などと
いろんなインタビューで答えていたらしいが、
僕が思うに、コルトレーンが本当に言いたかったのは、
人より凄くなりたいとか、人の上に立ちたいとか、
頂点に立ちたいとか言うのではなくて、
悟りを開きたいという意味だったのだと信じたい。
最近、自分に似合わない本を読んだ。
「親鸞の教え」という浄土真宗の本を。
知っている人は知っているはずです。
この親鸞という人の素晴らしさを。
いろんな教えや宗教ありますが、
この人が最高だと思います。
悟りを開く‥。難しいです。でも意外と簡単かもしれません。
たった一つわかれば、それですべて応用できちゃうんです。
それは‥「人は自然の流れには逆らえない。」ということなんです。
どんな悪い人でも、必ず悪いほうから良いほうへ心は流れるんです。
それを信じてあげるのです。
人は必ず今よりも良くなりたいと思うもんなんです。
信じてあげるって難しいけど、それが全てなんです。
それがわかれば、どれだけ時間がかかろうが、
待っていてあげられるのです。
待ってあげることが出来るひとって、素晴らしくないですか(笑)